砂漠で迷子

20年ROMってろと言われてROMってました。

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のらり・ひとり語り 7)焚き火に甦る、酒場「リラ亭」

ビューティフルドリーマーの挿入歌と言えば、一瞬しか流れないラメ色ドリームではなくて、じぱんぐで流されている『時代遅れの酒場』。

仕事をやめたがっている人がいたら、この歌をおすすめしていました。歌詞が背中を押してくれるので、自分は手を下す必要がないからな。そしてそれで本当にやめた人がいたら、『パチンコマン』をプレゼントしようと思っていたのですが、幸い、やめた人はいなかったです。

と言っても、自分は当時この歌を知らず、当然曲名を探すこともできず、ネットが出てきてから歌詞で検索してタイトルを知りました。情弱です。その検索中に、リラ亭というバーがモデルだとかなんだとかいう情報も出てきて、ジオシティーズの「のらり・ひとり語り」という個人サイトを見つけました。

そこに、リラ亭に関する貴重な経験談らしきものが載っていたので、とりあえずローカルに保存しておいたんです。20年前に。

そのサイトがどこだったかというと、ジオシティーズが無くなるはるか前に、そのサイトは消滅してしまっていて、URLを控えておかなかったから、今ではもうWayback Machineを使っても原典の探しようがなくなってしまいました。

しかし、この文章をローカルHDDもろともこの世から消滅する運命に任せておくのはなんとなくもったいない気がしたので、著作権とか無視して以下に転載しておきます。どうせ原典だって歌詞丸ごと載せてたし。無断転載しておいてなんですが、無断転載はなさらないようお願いします。著者若しくは関係者がいらっしゃいましたらご連絡いただけると幸いです。その他、消せと言われたらすぐ消します。それ以外の責はできればご容赦ください。また、歌詞、写真、著者名などは削除・伏字など処理させていただいてあります。ではどうぞ。

 

のらり・ひとり語り
のらりくらりとつれづれなるままの物語り

 

7)焚き火に甦る、酒場「リラ亭」

 

焚き火を前に酒を酌み交わしている時、ふと思い出す懐かしい酒場の風景がある。
時にやさしく、時に猛々しく、心の内に凝り固まった澱を鎮めて溶かしてくれて、そして同時にはかない焚き火の炎は、どこかその懐かしい酒場の気分に似ているのだ。

京都の河原町三条を少し下がったところに細い筋がある。そこを東へ木屋町へ向かってそれたところに、(※著者)が20代の頃、その末席を汚していた「リラ亭」という名のスタンドバーがあった。
バーとはいえ、お世辞にも華やかさのある店などではなく、くたびれた6つ7つの椅子が横一列に並ぶカウンターだけのこじんまりとした飲み屋だった。
酒はサントリーでもニッカでもない、オーシャンウイスキーの一辺倒で、ほかにドライマティニやチンザノ、ジンバックなど、いまでは硬派の部類に入る何種類かのカクテルが楽しめた。

昭和五年、五月五日とゾロメ生まれが少し自慢だったその酒場の亭主は、若い頃、若狭から京都にでてきて、国鉄や飴製作所に働きながら、ラーメンの屋台曵きを手伝い金を貯え、やがてこの地に店を構えた。北陸の出身らしく、穏やかな表情と芯の強さがまあるい顔に同居した好人物だった。

リラ亭の客筋は、勤め人、学者、学生、遊び人、元・現革命家、支局勤めの新聞記者と幅広かった。狭い店だけに、6・7人も入るともう満席となったが、この店は、ここからが本領発揮であった。
たとえ先客で席が埋まっていようとも、後から来た常連は意にも介さず、さっさと中へ入って椅子席の客たちの背後にどんどん立ち並んでいく。これで、前も後ろもほとんど身動きがとれない状態になる。
年齢や肩書きで椅子席を譲りあうことはほとんどなかったが、そんなカオスのような面々にも、若い女性に対する優しさだけは共通した感情だったようで、ふだんは表に出す機会も、また似つかわしくもないフェミニズムをこの機とばかり発揮していた。ただし、混んでから来たのがカップルの場合には、彼女だけ椅子席を譲られて両脇の男どもからちやほやされながら、彼氏は後ろの立ち席に取り残されるということも珍しいことではなかった。
さらに新たに訪れる客があり、それが共に呑みたい顔馴染みだったりした場合には、すぐさまwelcomeの空気が狭い店内に満ちあふれ、先客の誰かが静かにカウンターの中へ入り込んでマスターと並び、後続の客のためにスペースをつくった。これで、立ち飲み、椅子席、カウンター中の3列である。こうした工夫(?)を暗黙の内に連係することで、20人を超える客たちがひしめき合いながらも酒を酌み交わすのが、この小さな酒場の名物といってもよい光景だった。

店内に流れるBGMがまた面白かった。カウンターの端には、むき出しのドーナツ盤が30センチばかりの高さで2列に積まれ、そばに座った客が他の客のリクエストにも気を配りつつレコードを選んだ。山崎ハコ長谷川きよしカルメンマキ、浅川マキ、越路吹雪加藤登紀子マレーネデートリッヒetc.…。音楽の知識がないので有名どころしか思い出せないが、こうしたレコードをこれ以上の安物はないと思えるボロボロのホームプレーヤーに乗せて針を落とした。暗く深く潜行していくような音楽が似合う店だったが、プレスリーのロンサムカウボーイや伊東ゆかり江利チエミのレコードもその中に混じっていた。そしてマスターは、馴染みの客の前で興に乗れば、十八番の“八百屋お七”を楽しそうに思いのほかの美声で唸って聞かせた。

小さな小さな店だったが、煙草の煙りに薄汚れた背中の壁には、なぜか古びた世界地図が貼られ、この店の気分を代弁していたように思う。客の各々が悶々と腹の底に沈めた火薬の粉を、安酒でかろうじて湿らせながら、あるときは鬱々と呑み、またあるときは滔々と語った。

まさに、いまの時代にはまず出会うことのない、三日とおかずに通いつめていた20年前のあの当時でさえ、いささか“時代に取り残された”感のある、しかし妙にあたたかな心持ちで酔えるスタンドバーだった。

この店、多くの学園闘争の若者たちに混ざり、若かりし頃の加藤登紀子が常連として通った店である。名が売れてからもずっと、京都会館での“ほろ酔いコンサート”を終える度に顔を出していた店である。また、高倉健が主演した「居酒屋兆治」の主題歌で、加藤登紀子が作詞作曲した「時代遅れの酒場」という歌のモデルになったのもこの店だ。映画の居酒屋とは酒場としてのジャンルがまったく異なるが、下に載せた歌詞のフレーズのひとつひとつが、まさに往時のリラ亭の雰囲気そのものだった。

いまにして思えば華やかだったリラ亭の歴史だが、(※著者)も呼び掛け人の末席に名を連ね、加藤登紀子も駆けつけて京都ホテルで開いた1987年の30周年記念祝賀会が最期の盛りだったろう。1990年3月にマスターが病気のため他界したことで33年に亘った歴史に幕を閉じ、常連客のひとりが後を継いだカリン亭も、10年を区切りに店仕舞いしてしまった。いまは、小さなブティックが同じ場所に店を構え、皮肉にも訪れるのは“時代に遅れまい”とするオシャレな若者たちばかりだ。

 

リラ亭は、1992年からアフタヌーン講談社)に掲載された漫画「酒場ミモザ」のモデルにもなったという。

ラベルが高い

ご年配の方は、一度は「ラベルが違う」「ラベルが高い」という駄洒落を言ったことがあるはずです。
昔のCMのネタで、一時はかなり流行ったと思うのですが、いま検索してみると、びっくりするほど情報が出てきません。
エラそうに書いている自分も、元ネタは忘れてしまっているので、それで調べてみたら、ほとんど出てこない。
みんな前を向いて生きてます。

こちらの方も記憶があいまいなご様子。
https://blog.goo.ne.jp/kagisippohana_2009/e/b33b0aaa8a3d66808fc960d5f47ba713

「昔ウィスキー(多分)のCMで
『レベルが違うね~』を
『ラベルが違うね~』って言ってたの知ってますか?
確か、加藤茶三浦友和が出ていたと思うんだけど、違ったかなー。」
と書いています。しかも2009年の記事。
ちなみに加藤茶三浦友和が出てるのは別のCMです。

ちゃんとCMのセリフを覚えている人がいました。そうそうパンシロン液のCMだ。
https://minkara.carview.co.jp/userid/697431/blog/30162155/

こちらも2013年の記事ですから、それくらいの周期でしか言及されないくらいどうでもいい話ということになります。

商品名がわかればしめたもの。Youtubeから発掘に成功しました。
加藤茶田代まさし。この組み合わせというのも意外と言えば意外です。
https://www.youtube.com/watch?v=rt_QjMBt7JI

「先輩やっぱ男はメロンですね」
「馬鹿そりゃお前ロマンっていうの。おばちゃん、ボルトちょうだい」
「先輩のギャグは、ラベルが高いですね」
パンシロンえっきっ♪
「苦みが効きます」

「ゴクッゴクッと」が無いころだ。
「ラベルが違いますね」と覚えていたのですが、「ラベルが高い」がオリジナルでした。原典は大事。

ちなみに、このあとで2匹目のドジョウを狙って「だてに高いキュウリをもらってない」「安いもんな」などの駄洒落を連発するCMも放送されましたが、そちらはまったく流行らず、完全に歴史から消滅しています。